2015年1月26日月曜日

「あり」の起源はどこにあり?

  Euphorbiaの一種、メノルカ島でみつけました。そこにアリがありいていました。

私は、SIGMA社のカメラが好きで、あわせて6台持っています。一回に使えるのは一台に限られますから、これは明らかに不要な数です。それが分かっていながら、ついつい次の、より機能が高い、精度も高いものをと、欲望の連鎖から抜け出ることができません。そういうとき、評判や情報を求めて渉猟するサイトで頻繁に見かけるのが、「◯◯もありだ」、「これは買いだ」という表現です。この「ありだ」について、辞典で調べると、大きい辞典には掲載がなく、現代用語の基礎知識、イミダスに新語流行語、あるいは若者語として記載がありました。「可。いける。適合すること。『これにソースはアリですね。』」と語義、例文がありました。近ごろは大学の講義で、60代の教授あたりが使っていますから、日本では、60代も若者の仲間に扱われるということで、少しほっとしています。
 そこで、肝心の意味ですが、たとえば、「何でもありだ」の場合は「どのような事態でも生じうる」、あるいは「何をやっても許容される」のような意味内容、また「◯◯もありだ」の場合は、選択肢の一つとして許容されるというような意味ではないか、と感じています。研究社の新和英大辞典第5版にはすでに用例があげてあり、「彼ならそれもありかも知れない。」として、英訳が"In his case even that is possible."と付けてありました。これも許容、あるいは選択が可能という意味なんでしょうが、何ともぼんやりしていて、何が可能なのか、意味を確定できません。もとになっているのは動詞の「ある」にちがいなく、その用例をあさりましたが、「許容」につながる用法が見つかりません。「ある」の「存在」の意義から考えると、「これこれという選択肢もある(ありえる)」と文を補うと意味が通るようになることから、これは文の前の部分(係り部)が省略され、ついで、「ある」が「あり」の形に変えられ、それに判断辞の「だ」がくっついているのであろうと、推定できます。では、「あり」はいわゆる連用中止形か、あるいは古語の「あり」の終止形が援用されているのか、という形態の面が問題になります。私はいわゆる連用中止形が用いられているという解釈が可能性が高いと思ってはいますが、古い言い回しを引用的に使って、「『幸福は満足にあり。』だ。」のような形を他の部分をすっ飛ばして用いている可能性も「ありだ」という気もします。さて、どうなんでしょう。何にしても、誰が聞いても分かるように、もっとはっきり物を言って欲しいものだ、と思います。

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