ほんとに夏らしくない夏でした。この写真も雨上がりの夕方、虹が出てると騒ぐので、急いで窓からとったのでした。30度を超えたのがわずか一日、今週は、20度を切っていて、半袖では外を歩くのが肌寒い。これでしばらくは、マラリア上陸の心配もないか、などと思っていたら、豈図らんや、森歩きをすると蚊に出くわしました。マラリアをもたらす奴ではないとは思うものの、連れはアレルギーがあるそうで、刺されて腕が膨れ上がりました。
日本では盆も終わり、でもまだ暑い盛りは続き、テレビでは戦争関連の特集が多かったように見受けます。生の番組は見られませんが、案内を見て思うのは、過去のこととして話ができないのは当然としても、情動的な扱いが多いように感じてしまいます。戦争が日常の国に生きているからかもしれません。
今、2年前まで軍隊にいたという生徒さんが二人、10代と20代、どうして日本語なんか勉強したいんだろね、と思うけど、ま、ありがたい話。
2011年8月16日火曜日
夏の終わり
2011年7月12日火曜日
『曲り角の日本語』
岩波新書から、水谷静夫著の本が出ていましたので、さっそく買って読みました。一番印象に残ったのは、親書の帯についていた著者の近影です。1926年生まれとあるから、自分の母親と父親のちょうどあいだあたりのご年齢で、ああ、二人とも生きていたらこんな顔をしてるんだろうか、とつくづく眺めてしまいました。
文章は、講演録を起こしたものとはいえ、しろうとに飲み込みやすいものではなく、内容的にも、最近の日本語の変化を捉え返すにとどまらないで、日本語研究者の動向にも厳しい目が注がれているものでした。文法論の再構築の試みの一端を紹介するこの本の掉尾(ちょうび)が一番の関心事でした。なお、「おぼめかす」という語は、この本で初めて目にしました。調べてみると、源氏物語にも用例があるんだとわかりました。なるほど、確かに日本語はそういう方向に曲がって行きつつあるんだろうな、と改めて、ため息。
写真は我が家の(もと)大家さん(ついこないだ引っ越しました)、93歳の誕生会での写真。
2011年5月3日火曜日
いやな言葉、でも口にしたい
若菜摘み
この2週間、週末は山歩きをしました。先週はウェールズの西部にあるAberystwythという町で、その前の週はロンドンの北の方のLea Valleyです。歩くのは楽しかったんだけど、何か物足りないなあ、と思っていてふと気がつきました。自分が野道を歩くのはただ景色を楽しむだけではない、そう、春はツクシ取りに始まり、蓬摘み(団子にしてもらった)、5月はカタラの葉(サルトリイバラというそうですが、自分にはあくまで「カタラ」)、これは柏餅の葉の代用品で、やっぱり団子。
こちらにも蕨は生えているんだけど、何かごわついている感じ、食べてみたら結構おいしかったけど、今回は結局集めませんでした。残念ながら、野原から食べ物をいただくという文化がない国に来てしまい、寂しいことこの上ない。寂しいというのは、ここに住む人たちには、食草についての知識がほぼ皆無といってよく、何かを道端に見つけて心躍らせるということを共に味わうことができないんです。も一ついうと、おいしそうなものも生えていないようにも感じます。そういうわけで、せっかくの山歩き、今一つ楽しむことができませんでした。だから、「帰り道は遠かった、来たときよりも遠かった」で終わりでした、天気は良かったけどね。
2011年3月21日月曜日
桜?
いいえ、扁桃とか巴旦杏とか呼ばれているやつ、つまりアーモンドの花。日本では桜はまだつぼみのところがほとんどでしょうか、ここロンドンでは気温が低いにも関わらず3月はじめから桜が咲き始めます。日本のようにソメイヨシノ一色ではなく、山桜のようなものから葉が妙に赤いもの、八重咲きまで、時期も種類も様々。そういうのに混じって、ああ桜だ、と思って眺めていると、ととんでもない間違いというのがあるんです。これもその一つ、最初にこの樹の存在に気がついたのは夏の終わりのギリシャで、もう7年くらい前。古代遺跡の横に落ちていた実を見つけて食べてみた、これがとてもおいしかった。よく樹を眺めてみると梅か桃にそっくり、ということで我が町にもあるに違いないと見当をつけていたのが、果たしてつい近所にありました。天気のいい日にはこの下で、黒い毛のちょっと汚れた羊がのそのそ動いています。
2011年3月15日火曜日
津波援助サイト
2011年3月4日金曜日
2月は逃げた
写真は上善如水を造っている新潟の白瀧酒造の担当者さん。