2011年5月3日火曜日

いやな言葉、でも口にしたい

そういう言葉が、ふと浮かびます。まず、「血は汚い。」私の母親が、時に口にしていました。今回の震災でまず浮かんだ言葉です。ニュージーランドはそうでもないにしろ、いやその前の東南アジアを襲った大津波のとき、はたまた10年ほど前になる中国の内陸部の大地震で亡くなった人の数は比べ物にならないものだった、にもかかわらず自分はあまり痛みを感じなかった。

次に浮かんだのが、「そら見たことか。」、これは福島の原発事故を耳にしたときです。今、この言葉を発したら、袋だたきに遭うでしょうし、現にあっている人もいるような話です。この時期、この状況で、事態を何とかするために仕事をしている人がいる中で、これは口にできない、しかし。怒りを抑えていていいものなんだろうか。「だから言ったじゃない。」というのもありますが、これは、振り返ったらそうでもないか、と思います。もう一つ、「後手後手に回る。」というのもあったけど、これは違うような気がする。

何にしても、言葉が思うように話せなくなるのは、「さて、こまったな。」。

追記:
今日下のようなポストを見つけました。『日本語ハラゴナシ』掲載



若菜摘み

Pontrhydfendigaid by i_noriyuki
Pontrhydfendigaid, a photo by i_noriyuki on Flickr.

この2週間、週末は山歩きをしました。先週はウェールズの西部にあるAberystwythという町で、その前の週はロンドンの北の方のLea Valleyです。歩くのは楽しかったんだけど、何か物足りないなあ、と思っていてふと気がつきました。自分が野道を歩くのはただ景色を楽しむだけではない、そう、春はツクシ取りに始まり、蓬摘み(団子にしてもらった)、5月はカタラの葉(サルトリイバラというそうですが、自分にはあくまで「カタラ」)、これは柏餅の葉の代用品で、やっぱり団子。
こちらにも蕨は生えているんだけど、何かごわついている感じ、食べてみたら結構おいしかったけど、今回は結局集めませんでした。残念ながら、野原から食べ物をいただくという文化がない国に来てしまい、寂しいことこの上ない。寂しいというのは、ここに住む人たちには、食草についての知識がほぼ皆無といってよく、何かを道端に見つけて心躍らせるということを共に味わうことができないんです。も一ついうと、おいしそうなものも生えていないようにも感じます。そういうわけで、せっかくの山歩き、今一つ楽しむことができませんでした。だから、「帰り道は遠かった、来たときよりも遠かった」で終わりでした、天気は良かったけどね。