ここは姉の家の裏に在る川の土手です。ちょっと前まで、簸川郡斐川町と云いましたが、今は出雲市と名をかえました。自分が生まれた家から歩いて30分というところでしょうか、僕のうちは平田市という町でしたので、隣町だったんですが、例の大合併なるものがあって、平田の名前は消えてしまい、出雲市に。ということは、この場所も自分の「田舎である」と言ったところで問題ではなくなった、ということか、さて、よくわかりませんね。
写真の向かいにうっすらと写っている山々には、それぞれ名前がついている(この地からの呼び名)そうで、この山並みのその向こうに銅剣なんぞが大量に見つかった荒神山などの遺跡群が並んでいます。簸川郡という名は「火の川」からきたという説があって、つまり、たたらですね、斐伊川の上流で鉄が作られていたからとか、何とか。この斐伊川、子供の頃の発音では「ふぃいくわわ」とあり、母音が/i/ でも/u/ でもなく、中間的なとても難しい音で、聴き様によっては、「ふぇえ」とも聞こえました。これを共通語式に書いてしまうと「へえかわ」となります。今の文字に表せない、奥ゆかしい古い発音がまだ生きているんです。そういう名前が、消えてしまった。これでは、八岐大蛇も浮かばれない、そういうことを思い起こすような、というのは嘘ですが、子供の頃とかわらぬ屋根屋根の並び、山の陰はまだ残っておりました。
2011年12月13日火曜日
(広義の)いなか
2011年9月14日水曜日
アーモンドといちじく
ギリシャのロドス島産です。それに間違いないといえるのは、野原に生えているやつを頂戴してきたからで、決して値札についた情報を見ていっているんではありませんよ。このいちじく、小さいけれどなかなかの甘みで、木の上で熟すとこういう味がするのかと感激したのでした。アーモンドの写真からは皮(偽果)がついてるのが見えるでしょう。梅や桃ならここが大事なところだけど、こいつの場合は干からびるだけ。石ころを拾ってきて、えいやっと割って食べました。
今年のロンドンは本当に夏がなかった。公園でのバレーボールも半分くらいがお流れだった。雨上がりの午後の虹(けして詩的な意味ではありません、実際、午前中大雨、昼過ぎから晴れだして運がよければ夕方雲間からの虹という繰り返しということ)だけが慰みものでした。誘惑に勝てずにギリシャにのこのこと逃げ出した言い訳です。
2011年8月16日火曜日
夏の終わり
ほんとに夏らしくない夏でした。この写真も雨上がりの夕方、虹が出てると騒ぐので、急いで窓からとったのでした。30度を超えたのがわずか一日、今週は、20度を切っていて、半袖では外を歩くのが肌寒い。これでしばらくは、マラリア上陸の心配もないか、などと思っていたら、豈図らんや、森歩きをすると蚊に出くわしました。マラリアをもたらす奴ではないとは思うものの、連れはアレルギーがあるそうで、刺されて腕が膨れ上がりました。
日本では盆も終わり、でもまだ暑い盛りは続き、テレビでは戦争関連の特集が多かったように見受けます。生の番組は見られませんが、案内を見て思うのは、過去のこととして話ができないのは当然としても、情動的な扱いが多いように感じてしまいます。戦争が日常の国に生きているからかもしれません。
今、2年前まで軍隊にいたという生徒さんが二人、10代と20代、どうして日本語なんか勉強したいんだろね、と思うけど、ま、ありがたい話。
2011年7月12日火曜日
『曲り角の日本語』
岩波新書から、水谷静夫著の本が出ていましたので、さっそく買って読みました。一番印象に残ったのは、親書の帯についていた著者の近影です。1926年生まれとあるから、自分の母親と父親のちょうどあいだあたりのご年齢で、ああ、二人とも生きていたらこんな顔をしてるんだろうか、とつくづく眺めてしまいました。
文章は、講演録を起こしたものとはいえ、しろうとに飲み込みやすいものではなく、内容的にも、最近の日本語の変化を捉え返すにとどまらないで、日本語研究者の動向にも厳しい目が注がれているものでした。文法論の再構築の試みの一端を紹介するこの本の掉尾(ちょうび)が一番の関心事でした。なお、「おぼめかす」という語は、この本で初めて目にしました。調べてみると、源氏物語にも用例があるんだとわかりました。なるほど、確かに日本語はそういう方向に曲がって行きつつあるんだろうな、と改めて、ため息。
写真は我が家の(もと)大家さん(ついこないだ引っ越しました)、93歳の誕生会での写真。
2011年5月3日火曜日
いやな言葉、でも口にしたい
若菜摘み
この2週間、週末は山歩きをしました。先週はウェールズの西部にあるAberystwythという町で、その前の週はロンドンの北の方のLea Valleyです。歩くのは楽しかったんだけど、何か物足りないなあ、と思っていてふと気がつきました。自分が野道を歩くのはただ景色を楽しむだけではない、そう、春はツクシ取りに始まり、蓬摘み(団子にしてもらった)、5月はカタラの葉(サルトリイバラというそうですが、自分にはあくまで「カタラ」)、これは柏餅の葉の代用品で、やっぱり団子。
こちらにも蕨は生えているんだけど、何かごわついている感じ、食べてみたら結構おいしかったけど、今回は結局集めませんでした。残念ながら、野原から食べ物をいただくという文化がない国に来てしまい、寂しいことこの上ない。寂しいというのは、ここに住む人たちには、食草についての知識がほぼ皆無といってよく、何かを道端に見つけて心躍らせるということを共に味わうことができないんです。も一ついうと、おいしそうなものも生えていないようにも感じます。そういうわけで、せっかくの山歩き、今一つ楽しむことができませんでした。だから、「帰り道は遠かった、来たときよりも遠かった」で終わりでした、天気は良かったけどね。
2011年3月21日月曜日
桜?
いいえ、扁桃とか巴旦杏とか呼ばれているやつ、つまりアーモンドの花。日本では桜はまだつぼみのところがほとんどでしょうか、ここロンドンでは気温が低いにも関わらず3月はじめから桜が咲き始めます。日本のようにソメイヨシノ一色ではなく、山桜のようなものから葉が妙に赤いもの、八重咲きまで、時期も種類も様々。そういうのに混じって、ああ桜だ、と思って眺めていると、ととんでもない間違いというのがあるんです。これもその一つ、最初にこの樹の存在に気がついたのは夏の終わりのギリシャで、もう7年くらい前。古代遺跡の横に落ちていた実を見つけて食べてみた、これがとてもおいしかった。よく樹を眺めてみると梅か桃にそっくり、ということで我が町にもあるに違いないと見当をつけていたのが、果たしてつい近所にありました。天気のいい日にはこの下で、黒い毛のちょっと汚れた羊がのそのそ動いています。
2011年3月15日火曜日
津波援助サイト
2011年3月4日金曜日
2月は逃げた
写真は上善如水を造っている新潟の白瀧酒造の担当者さん。
2011年1月22日土曜日
私の店
何とかなって欲しいなあ、とは思っていますが、さてさて。