2011年12月13日火曜日

(広義の)いなか

 ここは姉の家の裏に在る川の土手です。ちょっと前まで、簸川郡斐川町と云いましたが、今は出雲市と名をかえました。自分が生まれた家から歩いて30分というところでしょうか、僕のうちは平田市という町でしたので、隣町だったんですが、例の大合併なるものがあって、平田の名前は消えてしまい、出雲市に。ということは、この場所も自分の「田舎である」と言ったところで問題ではなくなった、ということか、さて、よくわかりませんね。
 写真の向かいにうっすらと写っている山々には、それぞれ名前がついている(この地からの呼び名)そうで、この山並みのその向こうに銅剣なんぞが大量に見つかった荒神山などの遺跡群が並んでいます。簸川郡という名は「火の川」からきたという説があって、つまり、たたらですね、斐伊川の上流で鉄が作られていたからとか、何とか。この斐伊川、子供の頃の発音では「ふぃいくわわ」とあり、母音が/i/ でも/u/ でもなく、中間的なとても難しい音で、聴き様によっては、「ふぇえ」とも聞こえました。これを共通語式に書いてしまうと「へえかわ」となります。今の文字に表せない、奥ゆかしい古い発音がまだ生きているんです。そういう名前が、消えてしまった。これでは、八岐大蛇も浮かばれない、そういうことを思い起こすような、というのは嘘ですが、子供の頃とかわらぬ屋根屋根の並び、山の陰はまだ残っておりました。

2011年9月14日水曜日

アーモンドといちじく

Almonds and figs by i_noriyuki
Almonds and figs, a photo by i_noriyuki on Flickr.

ギリシャのロドス島産です。それに間違いないといえるのは、野原に生えているやつを頂戴してきたからで、決して値札についた情報を見ていっているんではありませんよ。このいちじく、小さいけれどなかなかの甘みで、木の上で熟すとこういう味がするのかと感激したのでした。アーモンドの写真からは皮(偽果)がついてるのが見えるでしょう。梅や桃ならここが大事なところだけど、こいつの場合は干からびるだけ。石ころを拾ってきて、えいやっと割って食べました。
今年のロンドンは本当に夏がなかった。公園でのバレーボールも半分くらいがお流れだった。雨上がりの午後の虹(けして詩的な意味ではありません、実際、午前中大雨、昼過ぎから晴れだして運がよければ夕方雲間からの虹という繰り返しということ)だけが慰みものでした。誘惑に勝てずにギリシャにのこのこと逃げ出した言い訳です。

2011年8月16日火曜日

夏の終わり

Rainbow by i_noriyuki
Rainbow, a photo by i_noriyuki on Flickr.

ほんとに夏らしくない夏でした。この写真も雨上がりの夕方、虹が出てると騒ぐので、急いで窓からとったのでした。30度を超えたのがわずか一日、今週は、20度を切っていて、半袖では外を歩くのが肌寒い。これでしばらくは、マラリア上陸の心配もないか、などと思っていたら、豈図らんや、森歩きをすると蚊に出くわしました。マラリアをもたらす奴ではないとは思うものの、連れはアレルギーがあるそうで、刺されて腕が膨れ上がりました。
 日本では盆も終わり、でもまだ暑い盛りは続き、テレビでは戦争関連の特集が多かったように見受けます。生の番組は見られませんが、案内を見て思うのは、過去のこととして話ができないのは当然としても、情動的な扱いが多いように感じてしまいます。戦争が日常の国に生きているからかもしれません。
 今、2年前まで軍隊にいたという生徒さんが二人、10代と20代、どうして日本語なんか勉強したいんだろね、と思うけど、ま、ありがたい話。

2011年7月12日火曜日

『曲り角の日本語』

Hannah by i_noriyuki
Hannah, a photo by i_noriyuki on Flickr.

 岩波新書から、水谷静夫著の本が出ていましたので、さっそく買って読みました。一番印象に残ったのは、親書の帯についていた著者の近影です。1926年生まれとあるから、自分の母親と父親のちょうどあいだあたりのご年齢で、ああ、二人とも生きていたらこんな顔をしてるんだろうか、とつくづく眺めてしまいました。
 文章は、講演録を起こしたものとはいえ、しろうとに飲み込みやすいものではなく、内容的にも、最近の日本語の変化を捉え返すにとどまらないで、日本語研究者の動向にも厳しい目が注がれているものでした。文法論の再構築の試みの一端を紹介するこの本の掉尾(ちょうび)が一番の関心事でした。なお、「おぼめかす」という語は、この本で初めて目にしました。調べてみると、源氏物語にも用例があるんだとわかりました。なるほど、確かに日本語はそういう方向に曲がって行きつつあるんだろうな、と改めて、ため息。
 写真は我が家の(もと)大家さん(ついこないだ引っ越しました)、93歳の誕生会での写真。

2011年5月3日火曜日

いやな言葉、でも口にしたい

そういう言葉が、ふと浮かびます。まず、「血は汚い。」私の母親が、時に口にしていました。今回の震災でまず浮かんだ言葉です。ニュージーランドはそうでもないにしろ、いやその前の東南アジアを襲った大津波のとき、はたまた10年ほど前になる中国の内陸部の大地震で亡くなった人の数は比べ物にならないものだった、にもかかわらず自分はあまり痛みを感じなかった。

次に浮かんだのが、「そら見たことか。」、これは福島の原発事故を耳にしたときです。今、この言葉を発したら、袋だたきに遭うでしょうし、現にあっている人もいるような話です。この時期、この状況で、事態を何とかするために仕事をしている人がいる中で、これは口にできない、しかし。怒りを抑えていていいものなんだろうか。「だから言ったじゃない。」というのもありますが、これは、振り返ったらそうでもないか、と思います。もう一つ、「後手後手に回る。」というのもあったけど、これは違うような気がする。

何にしても、言葉が思うように話せなくなるのは、「さて、こまったな。」。

追記:
今日下のようなポストを見つけました。『日本語ハラゴナシ』掲載



若菜摘み

Pontrhydfendigaid by i_noriyuki
Pontrhydfendigaid, a photo by i_noriyuki on Flickr.

この2週間、週末は山歩きをしました。先週はウェールズの西部にあるAberystwythという町で、その前の週はロンドンの北の方のLea Valleyです。歩くのは楽しかったんだけど、何か物足りないなあ、と思っていてふと気がつきました。自分が野道を歩くのはただ景色を楽しむだけではない、そう、春はツクシ取りに始まり、蓬摘み(団子にしてもらった)、5月はカタラの葉(サルトリイバラというそうですが、自分にはあくまで「カタラ」)、これは柏餅の葉の代用品で、やっぱり団子。
こちらにも蕨は生えているんだけど、何かごわついている感じ、食べてみたら結構おいしかったけど、今回は結局集めませんでした。残念ながら、野原から食べ物をいただくという文化がない国に来てしまい、寂しいことこの上ない。寂しいというのは、ここに住む人たちには、食草についての知識がほぼ皆無といってよく、何かを道端に見つけて心躍らせるということを共に味わうことができないんです。も一ついうと、おいしそうなものも生えていないようにも感じます。そういうわけで、せっかくの山歩き、今一つ楽しむことができませんでした。だから、「帰り道は遠かった、来たときよりも遠かった」で終わりでした、天気は良かったけどね。

2011年3月21日月曜日

桜?

Almond blossom by i_noriyuki
Almond blossom a photo by i_noriyuki on Flickr.

いいえ、扁桃とか巴旦杏とか呼ばれているやつ、つまりアーモンドの花。日本では桜はまだつぼみのところがほとんどでしょうか、ここロンドンでは気温が低いにも関わらず3月はじめから桜が咲き始めます。日本のようにソメイヨシノ一色ではなく、山桜のようなものから葉が妙に赤いもの、八重咲きまで、時期も種類も様々。そういうのに混じって、ああ桜だ、と思って眺めていると、ととんでもない間違いというのがあるんです。これもその一つ、最初にこの樹の存在に気がついたのは夏の終わりのギリシャで、もう7年くらい前。古代遺跡の横に落ちていた実を見つけて食べてみた、これがとてもおいしかった。よく樹を眺めてみると梅か桃にそっくり、ということで我が町にもあるに違いないと見当をつけていたのが、果たしてつい近所にありました。天気のいい日にはこの下で、黒い毛のちょっと汚れた羊がのそのそ動いています。

2011年3月15日火曜日

津波援助サイト

津波援助について英国赤十字がおこなっている基金

You can donate to British Red Cross for Japan Tsunami Appeal from above link.

2011年3月4日金曜日

2月は逃げた

忙しいのも手伝って、気がついたらもう3月。特別なことは何もなかったんですが、ここ二回ほど日本酒の利き酒会に行ってきました。どちらもBritsh Sake Associationがイギリスの酒卸元や清酒会社と共催して行ったもので、メンバーでもないのにいろんな酒が楽しめるとあって、のこのこ出かけました。感想は、とにかくおいしかった、と言うに尽きます。しかしです、こちらでは値段が本当に高くなる、そこでたいていの居酒屋においてあるのは「大関」ぐらいで、これを間違ってまともな銘柄を注文でもすると、四合瓶が軽く35ポンド、下手をすると100ポンドの出費となります。それでも飲もうという人がいったいどれだけいるんだろうか。まして、日本酒の味も知らないこっちの住人がまず手を出すとは考えられない。酒蔵の人たちも熱意を持っていらしてましたが、ま、前途多難だろうな、と。
 写真は上善如水を造っている新潟の白瀧酒造の担当者さん。

2011年1月22日土曜日

私の店

 こういう表現は、意味が曖昧で、いったい何のことやらと思いません?有名な「の」の曖昧さです。そこで説明を加えると、ここは自分が加わっている会員制のスーパーで、£25の加入金と月一の労働義務と引き換えに、10%の割引がもらえる仕組みになっている近所の、いえ、角を曲がったところにある店です。ということで、「私がふだん使う店」でもあれば「私が会員になっている店」でもあり、「私が一部所有者のつもりになれるかもしれない(本当はそんなことはありえませんが)店」、そして、「月一度働かされる(しかも無給で)ご主人様」でもあります。売っているものは大したものはないんだけど、唯一気に入ってるのは、珍しい山取りきのこを扱っていること。これがために、ここに加入しているといってもいい。いや、も一つあった、紫色のジャガイモです。写真に映っている黄色いTシャツを着た人が発起人のアーサー氏。何でも、どっかのレストランの所有者だそうな。年末の寒波のあおりを受け、客足が途絶えてしまい、今月で閉店の危機に瀕しておるとかで、本人が必死で支えようとしているようです。
 何とかなって欲しいなあ、とは思っていますが、さてさて。

 追記;
思いあまったアーサー氏、テレビ局に頼み込んで放映を早くしてもらいました。結果、放映の翌日から入会者が相次ぎ、ついに目標を大幅に上回る七〇〇名の会員数に。次はグラスゴーに出すという話も。