ところで、この「観光」ですが、自分が使っている日本語の教科書に「ちょっと、観光しない?」という会話が出てきます。はて、これはおしゃれめいて使ったのか、もうそういう複合動詞ができてるのかな、と思い、いろいろ辞典を見ましたが、出ていない。いや、英辞郎にはちゃんとありました。私の個人的な感覚では、「観光」のように「-を」を二つ使う必要がない名詞の場合は、あえて一語にする必要がないというのが主な理由じゃないか、と勝手に思い込んでいるんですが、この、「する」がくっついた複合動詞というのはけっこう厄介なもののようで、探してみると、まさかこんなものに、と思われるような意外な組み合わせがけっこう見つかるんだそうです。日本国語大辞典(第2版)の編輯の中心、松井栄一がそのようなことを辞典作りの苦労話の本で書いていました。そういうことで、日本語教科書に載ってるんだから、そろそろ国語辞典にも載せてもいいんではないか、と思いますがいかがでしょうか。
2012年12月3日月曜日
観光する???
ところで、この「観光」ですが、自分が使っている日本語の教科書に「ちょっと、観光しない?」という会話が出てきます。はて、これはおしゃれめいて使ったのか、もうそういう複合動詞ができてるのかな、と思い、いろいろ辞典を見ましたが、出ていない。いや、英辞郎にはちゃんとありました。私の個人的な感覚では、「観光」のように「-を」を二つ使う必要がない名詞の場合は、あえて一語にする必要がないというのが主な理由じゃないか、と勝手に思い込んでいるんですが、この、「する」がくっついた複合動詞というのはけっこう厄介なもののようで、探してみると、まさかこんなものに、と思われるような意外な組み合わせがけっこう見つかるんだそうです。日本国語大辞典(第2版)の編輯の中心、松井栄一がそのようなことを辞典作りの苦労話の本で書いていました。そういうことで、日本語教科書に載ってるんだから、そろそろ国語辞典にも載せてもいいんではないか、と思いますがいかがでしょうか。
2012年11月14日水曜日
「ある意味」の意味はありやなしや
この日曜日は、またぞろ新しく入手したレンズの試し撮りをしに行きました。バス停で待つ間、向かいにある店の跡を写しました。このご時世、窓の閉店セールの跡も、まだ残っていました。
2012年10月16日火曜日
失っていくもの
ところで、見出しに書いたのは、そういう話とは無縁なこと、ここのところ新聞の死亡欄がにぎやかで、ああ、あの人も、と思わせられる記事が続いています。思い出が次々に過去のものになって消えていく感傷とともに、これはちょっとまずいんじゃないか、という気持ちが湧いてきました。何かというと、まともな言葉遣いができる人たちが消えてしまう、ということ。丸谷才一は決して好きな作家ではありませんでしたし、その小説も読んでいません。でも、もうこれほどの人はしばらくは出て来ないだろう、とりわけ日本語についての文章論そして文学論は他の追随を許さないものでした。たぶん、前の時代の人たち、勉強の量が根本的に違っていたんだろうと思います。
2012年9月10日月曜日
ゆうき、勇気?言う気?
2012年8月29日水曜日
マリオネット怖い
さて、この写真はその際に泊まったホテルがある、古い町、Bernayの商店街で目に留まったもの。十世紀ごろから栄えた地方の町で、今も味わいのある中世を思わせる木造りの建物が並んでいます。町の中心部にあるショーウィンドウに、どういうわけかこの写真にあるマリオネットを飾る店が並び、八月にはお祭りが開催されるとのポスターも。人形製作で名を成した町だったんでしょうか。正直に告白すると、私はこの人形が怖い。口元が切れているんです。昔見たような気がするホラー映画のイメージが離れない、こんなものが部屋につるしてあったら気になって寝られないだろう、などと思いながら、怖いもの見たさで写しました。首つりの感じ、しません?
2012年6月12日火曜日
また、メダカもどき
ところで、こやつら、目が上を向いているからか、人が姿を現すと近寄ってきます。鯉など、人から餌をもらいつけている魚ならいざ知らず、好奇心からか、何なのか、小さい割に、知能は高いのかもしれません。図鑑に目を凝らしていろいろ探したんですが、けっきょく正体は不明のまま、これがカダヤシであるならばアメリカからの侵入者ということになるのかな。地中海地域にはKilifishの仲間はいますが、写真では帯状の縞のある、もっと美しい魚でした。こんなものに関心を持つものはあまりいないようで、観光本の自然紹介にも記載なし。調べたついでに思い出しました、メダカはアジの親戚らしいという記事を以前読んだことがあることを。納得できない話。
2012年4月18日水曜日
ふきのしんせき
花を見れば一目瞭然、蕗ではありません。かてて加えて、イギリスの在来種ではなく、スカンジナビアあたりから持ち込まれたもののよう、おまけに、花の形が本来の崩れた形でなく、たぶんこちらの在来種との雑種のように思えます。そういうことを離れて眺めると、花はそれなりにかわいらしくて、清楚な感じすらします。
こんなものを取り上げたのは、摘み菜の楽しみがないこの国の、味気ない春の山歩きの鬱憤晴らしです。ただ、その気になればこの蕗もどき、味と香りは蕗と同じで、茎が細くて皮むきとあく抜きに手間がかかることを厭わなければ、ちょっとした一品に加えることができるのです。ただし、野原に生えている植物を採集することは禁じられているようで、どうしておまえが味と香りがいいなどと知っているのだ、というようなことは聞かなかったことにしてください。
2012年4月13日金曜日
しつかん (質感) ??
写真と標題にはなんの関係もありません。この頃気になる新語の一つとして取り上げました。知ってる人は知っているかも知れませんが、最近、ちょっとカメラにとりつかれ始め、いろいろと情報が載っているウェブサイトなどを渉猟しています。そういうときに、カメラやレンズの褒め言葉として使われているのがこの言葉。日本国語大辞典を見ると、60年代の始め頃から小説で使われ始めたもののようですが、今はこれなしに何事も語れないくらい、超大人気の(古くてすみません)言葉になっています。
ところでその意味は、というと、「材料が持っている感じ」、という定義にとどまります。ああ、やっと分かりました、感じです、感じ。中学校のころはやったフィーリングというやつで、これが漢語になって広がっているんです。「ものの感じをうまく表現している」と書けばいいものを、「質感」と書けば、意味深い、高級な感じがする、ということですね。これとよく似たのが「立ち位置」という言葉。立場、じゃないんです。立っている位置?物事が何らかの状況や社会的な立場、役割の中に占める位置、とでも書き換えればいいんでしょうか。これはまだ、辞典類には記載がないのではないかと思うんですが、もう、明鏡あたりが取り上げてるかな。もっともらしい、意味深げな言葉で、でもよく考えるとたいした意味がない、という点で共通しています。
さて、ここに載せた写真は、ゴミでも金属と一緒に詰め込まれると、それなりの「いい感じ」がするなあ、と思って撮ったものでございました。お目汚し、ご容赦を。
2012年2月9日木曜日
雪!
今冬初めての雪です。2月は寒い。
ちょうど、週末の土曜日、明日は仕事がない、ということもあって、夜中に歩き回りました。はじめはうっすら、その後エチオピアレストランでおなかを膨らませたあと、パブへ、日付が変わって外に出たら8センチくらいは積もっているな、と思いました。
この写真は降り始めで、シグマの写りのいいレンズでとりましたが、も一つ40年前のレンズをつけたオリンパスで撮った写真はぼやけているのがなんともおもしろいと思いました。写りが悪いほうがかえって味があるというのは皮肉な話です。
2012年1月20日金曜日
青い鳥鍋
こんなことが起きるとは、夢にも思っていませんでしたが、鍋が紫に染まっています。近所のピープルズ・スーパーマーケットで珍しい色のにんじんを見つけ、これ幸と本日の鍋に投げ込みました。想像力の欠如というか、予期すべき結果であったのですが、色素が水に溶け込むことなどに考えも及びませんでした。
味は‥‥取り立てて変わらず、少しいつものにんじんよりも、甘かったかもしれない、という程度。最後に作ったおじやも真っ青、これがデジタルカメラであれば、色合いも調整できるところですが、いかんせん、色に目をつむっていただきました。
今度買うときはジュースにしようかな?
2012年1月3日火曜日
あけましておめでとう
Whitstable beach, Marine Terrace, a photo by i_noriyuki on Flickr.
残念ながら元旦の夜明けではありません。二日の午後3時,でももう西日は沈みかけていました。
ここは,ロンドンから東へ電車で一時間半, Kent 州のWhitstable という漁港のある町で,冬場の牡蠣が有名です。観光地としても知られているものの,南のBrightonのような大仰さはありません。ハイストリートに並ぶのはほとんど地元の小さな店ばかりで,我々が遅い昼飯を求めて入ったところもSamphire という間口の狭い,地味でしかし奥行きは意外にあるレストランでした。実は,ここにきた目的の半分は生ガキにあったのですが,いかんせんこの店のメニューにはなし。薫製の鮭を焼いたものを注文しました。これが味はなかなかで,あとで連れが調べたところ,地元では2番目に評判の良い店であったことがわかりました。一番目は,どういうわけかインディアンで,牡蠣料理の専門店ではないのが腑に落ちない。
この日は、昼過ぎに浜辺に着くと、幸運にも引き潮の時間帯で、汀は遠く沖まで伸びていて,さあ,2,300メートルはあったでしょうか,足下に注意しながら石ころのむき出しになったところを歩きました。風は冷たかったけれど,めったにない晴天,寒さも感じない。空は灰色がかった薄い碧で,イギリスでは奇跡的に雲もほとんどみられない、ここのところの雨続きで空気が澄んでいるのです。人影も少ないなか、さすがに,靴の中が冷たくなるのを我慢する根性もなくて,水際までは行きませんでしたが,どんどん歩いても果てがない感じがしました。さて,この足下を見ながらよたよたと歩くというのは,それはそれでいいことがあるもので,落ちているものに目がいきます。白い貝殻がまず,次いで魚の死骸やカニの殻,殻だけではなくて、ごろごろと大きな石ころのように転がっているのが牡蠣。石が(石にか?岩では無いのがみそ)へばりついているのを見つけて拾い上げ、上から落とすと貝だけが残りました。確かめると,しっかり中身が入っています。一つ二つ拾ってから,入れ物が無いことに気づき,ぬれた手で写真を撮りながら進む愚かさにも意識が向かったので,ひとまず陸地に戻りました。
この日の収穫は大振りの牡蠣十数個と赤貝に似たCockles。家に帰ってから,干涸びたレモンの汁をたらして鮮度の良さを二人で楽しみました。海水の味がしたような気がしました。