この日曜日はまれに見る快晴、朝から道路上にくっきり影が映って、窓からの反射の光の筋とで、いつもの町とは違うところに来たような感覚、それに陽気も悪くないのでカメラと重いレンズをいくつか押し込んで出かけました。修理に出していたのが帰ってきたばかりで、うれしくて、というのもも一つの理由です。向かうはテムズの川端。ロンドンの面白いところは裏道にあります。うちの近くはシティからそれほど遠くないということもあって、町の保存がよく、一角曲がると路地が隠れてあり、それがまた入り組んだ路地に続くという有り様。怪しげなものや、見つけて儲けたと思えるような雰囲気の建物にぶつかります。写真のビルもその一つ、このドアの上に重機をつるすためのようなごつい鉄骨の塊が壁に据え付けてありました。さて、なんだろうね。
ところで、見出しに書いたのは、そういう話とは無縁なこと、ここのところ新聞の死亡欄がにぎやかで、ああ、あの人も、と思わせられる記事が続いています。思い出が次々に過去のものになって消えていく感傷とともに、これはちょっとまずいんじゃないか、という気持ちが湧いてきました。何かというと、まともな言葉遣いができる人たちが消えてしまう、ということ。丸谷才一は決して好きな作家ではありませんでしたし、その小説も読んでいません。でも、もうこれほどの人はしばらくは出て来ないだろう、とりわけ日本語についての文章論そして文学論は他の追随を許さないものでした。たぶん、前の時代の人たち、勉強の量が根本的に違っていたんだろうと思います。
ところで、見出しに書いたのは、そういう話とは無縁なこと、ここのところ新聞の死亡欄がにぎやかで、ああ、あの人も、と思わせられる記事が続いています。思い出が次々に過去のものになって消えていく感傷とともに、これはちょっとまずいんじゃないか、という気持ちが湧いてきました。何かというと、まともな言葉遣いができる人たちが消えてしまう、ということ。丸谷才一は決して好きな作家ではありませんでしたし、その小説も読んでいません。でも、もうこれほどの人はしばらくは出て来ないだろう、とりわけ日本語についての文章論そして文学論は他の追随を許さないものでした。たぶん、前の時代の人たち、勉強の量が根本的に違っていたんだろうと思います。
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