2014年8月29日金曜日

「寄り添う」ねこ、鼻を利かす犬




ポルトガルの浜辺の町で昼寝をしていた身内らしい、「寄り添う」猫  世知辛い世の中、せめて人のつながりは大切にしたいということでしょう、この「寄り添う」という言い回しがここでもそこでもあそこでも、今日も明日もあさっても、垂れ流されています。たとえば、次のよう。「顧客の要望に徹底して寄り添い、業界の常識にとらわれないため、『型破り』とも言われる。」これは、朝日新聞デジタルで見つけた(凄腕つとめにん)大山雄也さん 9年で植えた緑、1万8000本、という記事(8月25日付)からとった、この大山さんという方への褒めことばです。いまや、「背中を押す」と並ぶ、好感度ナンバーワンのことばになっています。でも、この「顧客の要望というものに寄り添う」って、どうやったらできるんだろう、と思います。要望には「応える」んじゃなかったかな?ここまで、まるでインフレのように切り札の決めことばを使いすぎると、いずれ、どんどん価値が下がって行って、いずれまた違うはやりことばに置き換えられる運命にあると感じました。次は何か、予想しませんか?
 さて、今度は犬、活躍する警察犬の記事(同じく朝日、8月28日付)ですが、ここに、「警察犬が幅広い分野で鼻を利かせている。容疑者の足取りを追うだけでなく、違法薬物や拳銃の捜索など『一匹二役』をこなす犬が登場。」とあった。気がつきましたか?「鼻を利かす」ということばはないけど、あっ、「幅を利かす」だ。僕は、これを発見したとき、本当に感動しました。これこそ、日本語の伝統にのっとった由緒正しいだじゃれです。寄り添う猫と鼻を利かす犬とどっちがお気に入りでしょうか。
 
追記:本日、2014年11月19日(新聞記事は20日付け)、朝日新聞の記者が書いた記事で、次のような用例を見つけました。「地図を見てみると、バラノ湖は海に寄り添うような湖で、浜名湖とちょっと似ている。」。書き手は、河野正樹、ヨーロッパ総局員(欧州スポーツ担当)、2000年入社、とあります。これはもう、理解の範囲を超えた表現です。湖が海に寄り添う、とはいったいどういうことを意味するのか?ただ、??????と書く以外にすることがありません。2000年入社となると、30代半ばでしょうか。こういう記事を書いた人、校正でチェックできなかった人、朝日新聞よ、そういう社員ばかりでいいんですか?

2014年8月2日土曜日

右と左、カニの手に方向性(?)はあるか

 前回に続き、ポルトガル、Taviraの話。我々が泊まったホテルの部屋にあった訪問者の写真です。右目と左目の色が違います。正確には虹彩の色のちがいということでしょうか。この猫の子供と思われる少し小さめの、白地がない猫もこの日、一緒に居ましたが、数日後、今度はひとり(一匹)でドアをノックして(正確には塀を飛び上がって)、部屋の中に入って来て、1、2時間ほど一緒に過ごしました。夕飯を共にしたい、ということではなかったようで、せっかく訪ねて来たんだからと差し出した牛乳やチーズには関心を示さず、連れの膝の上に乗ってスキンシップを楽しんでいったようです。
 さて、この、右と左に関連して。たまたま次のような文が目についたので、引用します。「現在公開中の「思い出のマーニー」で監督を務めた、米林宏昌監督が生出演します。最新作に込めた思いや今後目指していく方向性など、米林監督がたっぷり語ります。」これはNHKの放送予定の番組案内の一部ですが、さて、この「方向性を目指す」ことが果たして可能なのか、とても気にかかります。辞書を引いてみると、「方向性』という語は岩波国語辞典、明鏡、大辞林ともに記載がない。大辞泉と日本国語大辞典にはあって、後者のものを引用すると「進むべき方向や目標を持っている状態。」とあり、1964年の安部公房の使用例がついていた。ついで、WIkipediaに「電磁は、一般的に無方向性鋼板方向性鋼板の2種類が使われている」とあった。ははあん、と合点が行きました。これは、「時系列」が単なる「時間の流れ」の意味と誤用されているのと同じ類いで、「方向」の意味と同じ意味で「方向性」を使っているんでしょう。「方向性」の方が「方向」より気取った言い方に聞こえるから使ってみたい、という心理です。気取ってはいるけど、意味が変だ、とは気がつかないのかな?
 さて、おまけの写真、ここに写っているカニさんの手(足か?)は一番前の右手が異様に大きくなっています。これがどのカニも同様に右手のみが大きいかというと、そうでもなくて、左手が大きいのも混じっていました。結論、「このカニさんの手の大きさには方向性はない」、と。