2014年8月2日土曜日

右と左、カニの手に方向性(?)はあるか

 前回に続き、ポルトガル、Taviraの話。我々が泊まったホテルの部屋にあった訪問者の写真です。右目と左目の色が違います。正確には虹彩の色のちがいということでしょうか。この猫の子供と思われる少し小さめの、白地がない猫もこの日、一緒に居ましたが、数日後、今度はひとり(一匹)でドアをノックして(正確には塀を飛び上がって)、部屋の中に入って来て、1、2時間ほど一緒に過ごしました。夕飯を共にしたい、ということではなかったようで、せっかく訪ねて来たんだからと差し出した牛乳やチーズには関心を示さず、連れの膝の上に乗ってスキンシップを楽しんでいったようです。
 さて、この、右と左に関連して。たまたま次のような文が目についたので、引用します。「現在公開中の「思い出のマーニー」で監督を務めた、米林宏昌監督が生出演します。最新作に込めた思いや今後目指していく方向性など、米林監督がたっぷり語ります。」これはNHKの放送予定の番組案内の一部ですが、さて、この「方向性を目指す」ことが果たして可能なのか、とても気にかかります。辞書を引いてみると、「方向性』という語は岩波国語辞典、明鏡、大辞林ともに記載がない。大辞泉と日本国語大辞典にはあって、後者のものを引用すると「進むべき方向や目標を持っている状態。」とあり、1964年の安部公房の使用例がついていた。ついで、WIkipediaに「電磁は、一般的に無方向性鋼板方向性鋼板の2種類が使われている」とあった。ははあん、と合点が行きました。これは、「時系列」が単なる「時間の流れ」の意味と誤用されているのと同じ類いで、「方向」の意味と同じ意味で「方向性」を使っているんでしょう。「方向性」の方が「方向」より気取った言い方に聞こえるから使ってみたい、という心理です。気取ってはいるけど、意味が変だ、とは気がつかないのかな?
 さて、おまけの写真、ここに写っているカニさんの手(足か?)は一番前の右手が異様に大きくなっています。これがどのカニも同様に右手のみが大きいかというと、そうでもなくて、左手が大きいのも混じっていました。結論、「このカニさんの手の大きさには方向性はない」、と。

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