2015年11月15日日曜日

酔(ゑひ)のさなか



おととい、金曜日の宵、久しぶりにコンサートに行きました。The ORBです。三ヶ月ぶりかな。うちの連れは、私と違って、先週は2回、その前の週も2回だったから、この人の楽しめる音楽の趣味の広さを示しています。うらやましい話。パブでちょっとしたおいしいものを食べてから、目当てのグループが現れる頃を見計らって会場へ。ロンドン東部、Bethnal Greenの外れで、天井が高くない割には、音響も悪くありませんでした。外はガス施設の円形の柱が立ち並ぶ。来ていた面子は予想していたより年齢層が若く、80年代に登場したグループにしては新規の層も継続してひきつけているんだな、とわかりました。服装も気取らない、目立たないけれど、見ようによってはちょっと凝ったところもある人たち。それで、その観賞態度ですが、静かに酔う、という感じで、個々人が音に聴き入って、単調な、でもちょっと心が浮き上がってくるような音の流れに体を揺らせながら楽しんでいる。ときどき、自分のまわりを見回して、同様に酔いに落ち込んでいる聴衆の姿態を見て音の共有を満足し、それがまた少しだけ楽しみを増幅させるというようなところでしょうか。そうやって酔っぱらっているところに、誰かがフランスで何かあったらしい、と告げる声。いやな感じがするけど、自分は楽しみの最中で酔っていたいから、聞かなかったことにする。気になるから携帯を見ると、臨時報が流れている。ちらっと見て、また酔いに戻る。そういうことで、家に帰ってニュースに向き合ったのは日付が変わってからでした。そして、その時間にもまだ事件が収束していなかったのを知ったのは、翌朝でした。海峡を隔てると銃の音が聞えないのです。

2015年7月12日日曜日

野原のながめ

                牛がいる( 野)原(の)風景(ながめ)

 ちょっと前になりますが、5月末、ちょっといい天気の日を選んで、再びLewesに出かけました。そこから海辺の町、Newhavenまで川沿いを歩こうという計画です。写真を撮ったのは、そのLewesのすぐ隣にあるMalling Downという丘です。あとで見つけたんですが、牛がのんびり親子連れでお食事をなさっている中に、どういうわけか若い鹿が一頭まじっていました。鹿は、たいてい群れで生活しているはずなのに一頭だけ、この地所の持ち主が放ったのかな。
 さて、今回は写真の下につけた「原風景(げんふうけい)」なることばです。改めて言うまでもないことですが、このような「原(げん)」の使い方はそう古いものではなくて、戦後、それも60年代頃から広がり始めたのではないかと思います。意味は、「もとの」程度の意味ですが、例によって、これも[意味深げことば]のひとつとして、幼少期に見聞きしたことを「原体験」、小さいころ親しんだ野原の様子を「原風景」などと呼びかえて、聞こえの良い、ありがたい言葉にしあげた代物です。意味深げ、と書いたのは、たいした意味がないのに、何か深い意味を含んでいるように装うということが言いたいのですが、この手の「耳障り(みみざわり)」の良い(?)決まり言葉、使っていて、恥ずかしくないのか、と思うからです。意味深げな言葉を使うなら、それにふさわしい内容を。
 ところで、このあと旧要塞跡の丘にたどり着き、海辺までの眺めを楽しんだのは良かったものの、そこから川に降りる道がなく、他人の農地を横切るのも心苦しいということで、大きく迂回を強制され、結局もとの地点に戻ってしまいました。そこからさらに4時間歩く元気が失せて、町に戻ってビール醸造所の経営するパブでいっぱい引っかけました。こういうのを「原点に立ち返って」というのでしょうか。おそまつ。

2015年1月26日月曜日

「あり」の起源はどこにあり?

  Euphorbiaの一種、メノルカ島でみつけました。そこにアリがありいていました。

私は、SIGMA社のカメラが好きで、あわせて6台持っています。一回に使えるのは一台に限られますから、これは明らかに不要な数です。それが分かっていながら、ついつい次の、より機能が高い、精度も高いものをと、欲望の連鎖から抜け出ることができません。そういうとき、評判や情報を求めて渉猟するサイトで頻繁に見かけるのが、「◯◯もありだ」、「これは買いだ」という表現です。この「ありだ」について、辞典で調べると、大きい辞典には掲載がなく、現代用語の基礎知識、イミダスに新語流行語、あるいは若者語として記載がありました。「可。いける。適合すること。『これにソースはアリですね。』」と語義、例文がありました。近ごろは大学の講義で、60代の教授あたりが使っていますから、日本では、60代も若者の仲間に扱われるということで、少しほっとしています。
 そこで、肝心の意味ですが、たとえば、「何でもありだ」の場合は「どのような事態でも生じうる」、あるいは「何をやっても許容される」のような意味内容、また「◯◯もありだ」の場合は、選択肢の一つとして許容されるというような意味ではないか、と感じています。研究社の新和英大辞典第5版にはすでに用例があげてあり、「彼ならそれもありかも知れない。」として、英訳が"In his case even that is possible."と付けてありました。これも許容、あるいは選択が可能という意味なんでしょうが、何ともぼんやりしていて、何が可能なのか、意味を確定できません。もとになっているのは動詞の「ある」にちがいなく、その用例をあさりましたが、「許容」につながる用法が見つかりません。「ある」の「存在」の意義から考えると、「これこれという選択肢もある(ありえる)」と文を補うと意味が通るようになることから、これは文の前の部分(係り部)が省略され、ついで、「ある」が「あり」の形に変えられ、それに判断辞の「だ」がくっついているのであろうと、推定できます。では、「あり」はいわゆる連用中止形か、あるいは古語の「あり」の終止形が援用されているのか、という形態の面が問題になります。私はいわゆる連用中止形が用いられているという解釈が可能性が高いと思ってはいますが、古い言い回しを引用的に使って、「『幸福は満足にあり。』だ。」のような形を他の部分をすっ飛ばして用いている可能性も「ありだ」という気もします。さて、どうなんでしょう。何にしても、誰が聞いても分かるように、もっとはっきり物を言って欲しいものだ、と思います。