「かはたれ時」というのと「たそがれ時」というのは、時間帯が違うんだそうです。私はずっと同じものだと信じ込んでいました。もちろん同じ時刻を表すという使い方もあるような話です。辞典を調べてみると、「あれはたれ時」、とか、「あれはたそ時」というのも見つかりました。こういうのは、もう使われなくなったのが残念です。自分がふだん使うのは「夕暮れどき」です。
ところで、こないだ、図書館においてあったので、水村美苗さんの本を2冊借りました。正直に言うと、この人のものは読もうという気にならなくて、手を触れたことが無かった、もしこの図書館の新規購入図書の棚になかったら、死ぬまで読まなかったことと思います。で、感想は、予想通り、我々の世代の文章表記能力の低さを改めて確認するものになりました。ご本人が一生懸命書こうと努力しているのがわかる分、余計に悲しい思いがします。また、自分の頭に浮かんだことをとにかく全部書き表そうと努めている跡が読み取られて、痛々しい感じがします。共有できる部分は、近年の日本語の言語表現が貧しくなっているという指摘です。この人と一つ違うと言えることは、ことばを身に付ける時期に、出雲の在郷で、そして小学校に入ってからは北河内で育ったことで、アメリカで暮らした水村氏が読書から得たようなことばの切れ切れを、直接、身内や近所の人たち、そして教会に来る信者さんの語り口と立ち居振る舞いから吸収したという点です。文字からと目や耳からの違いは大きいと思う。もちろん、自分のことばにならなかったのはお生憎様ですが。
写真に写っているのは、たぶん、日本人の親子で、観光に来たんでしょうか。歩く早さ、動きが違うからか、このような写真の効果になって現れました。
2013年11月2日土曜日
夕暮れどき
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