先月、サニンデールからウィンザーまで歩きました。15キロくらいで、その道中の半分はバージニアウォーターという、 人為的に作った池を中心にした公園です。そこで、めったに見つからないキノコを見つけました。ここは、王室が所有している由で、採集は許可されていないとのこと、残念至極。これ、おいしいらしいんです。英語の名前は"Cauliflower fungus" です。
さて、秋も深まり、ここのところイギリスにもたくさんの柿が輸入されて、売られています。全部スペイン産でしょうが、角張った渋柿に加え、平核無柿、富有柿も最近仲間入り。選択肢が増えるのは、うれしい限りです。さて、一つ気になること。
子規の有名な句です。「柿食えば」はいい、次の「鐘が鳴るなり」の「なり」がわからない。誰か知っている人教えて下さいな。「なり」には二つ有りますが、そのどっちをとっても意味が通らないんです。「鳴る」は四段活用だから、これが終止形か連体形か決められません。もし終止形なら、現代語に相当するとすれば、「そうだ」にでも当たるんでしょうが、そうすると、「柿を食えば鐘が鳴るという話だよ、法隆寺は」というようなことになって、子規は法隆寺にいるのではなくて、そういう話を詠んだだけということになる。茶屋で柿を食ったら、たまたま鐘が鳴った、という逸話は本当かどうか、何の根拠もない作り話らしい。もし「鳴る」が連体形であれば、「柿を食えば、鐘が鳴るのである」というような意味で、これも意味が通らない。いちばん有りそうな解釈は、語数が足りないからただ足しただけで意味が無い、というもの。その場合は、子規もたいしたことはない、ということになりますが、さて、誰か、教えて下さい。
追記:考えた末、これはやはり、終止形に続く、なりではないかと思うようになりました。昔から、「鳴る」に続くのは伝聞とか推定とか言われる方であったからです。意味としては、「柿を食っていると、おや鐘が鳴っているようだよ、法隆寺だなあれは」というような意味になるのかな?
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