2009年10月4日日曜日

なので、夜ご飯

 これは、のどに引っかかった魚のとげのようなもので、いまだに聞くたびになんともえない気持ちの悪さから逃れられません。ただ一つの救いは、どちらも、まだ辞書の世界では存在が認められていないこと。それを根拠に、作文指導で見つけるたびに、これは書くときは使ってはだめ、と朱を入れて、憂さを晴らしています。でもそろそろ明鏡国語辞典あたりが載せ始めるのではないでしょうか。
 「なので」の使用に気がついたのは、たぶん2003年頃。それまであちこちで聞いていたはずなのに、まったくもって言葉に鈍かったというしかない。年齢の上限は60代まで行きそうな感じ。「夜ご飯」はこの3月、日本語を教えていた生徒さんたちから、「『晩ご飯』というのは聞いたことがない、前の先生は『夜ご飯』と教えてくれた」、と指摘を受けたときが初めて。これも、後で周囲の人にいろいろ尋ねてみた結果、どうも40代後半の人たちくらいから使っていることが判明しました。いや、もっと古いかもしれない。これも何度も聞いていたのに、それと気づかなかったんでしょうね。
 しかし、どうしてもいやなのは、日本語を教える仕事をしている人たちの中で、こういう言葉がどんどん広がっていることです。そういう、自分だって、たぶん、一世代前の人たちが聞いたら、我慢できないような変な言葉を平然と使ってるんだろうことは、わかってはいますが。

 ところで、ほんとにもう夏が終わってしまいました。そこで、一番夏を感じさせる写真を選んで載せることにします。暑くない夏だったけど、光の強さを感じさせた影でした。暗いものだけでは、と思い、一点花の写真を。ヒマラヤから来たという、Thunia alba。事情を知らない下宿先の庭師がコンポストボックスに捨ててしまったのを、大慌てで救い出し、何とか再生して、この結果です。うれしいことも、たまにはある。



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