この2週間、週末は山歩きをしました。先週はウェールズの西部にあるAberystwythという町で、その前の週はロンドンの北の方のLea Valleyです。歩くのは楽しかったんだけど、何か物足りないなあ、と思っていてふと気がつきました。自分が野道を歩くのはただ景色を楽しむだけではない、そう、春はツクシ取りに始まり、蓬摘み(団子にしてもらった)、5月はカタラの葉(サルトリイバラというそうですが、自分にはあくまで「カタラ」)、これは柏餅の葉の代用品で、やっぱり団子。
こちらにも蕨は生えているんだけど、何かごわついている感じ、食べてみたら結構おいしかったけど、今回は結局集めませんでした。残念ながら、野原から食べ物をいただくという文化がない国に来てしまい、寂しいことこの上ない。寂しいというのは、ここに住む人たちには、食草についての知識がほぼ皆無といってよく、何かを道端に見つけて心躍らせるということを共に味わうことができないんです。も一ついうと、おいしそうなものも生えていないようにも感じます。そういうわけで、せっかくの山歩き、今一つ楽しむことができませんでした。だから、「帰り道は遠かった、来たときよりも遠かった」で終わりでした、天気は良かったけどね。
2011年5月3日火曜日
若菜摘み
2011年3月21日月曜日
桜?
いいえ、扁桃とか巴旦杏とか呼ばれているやつ、つまりアーモンドの花。日本では桜はまだつぼみのところがほとんどでしょうか、ここロンドンでは気温が低いにも関わらず3月はじめから桜が咲き始めます。日本のようにソメイヨシノ一色ではなく、山桜のようなものから葉が妙に赤いもの、八重咲きまで、時期も種類も様々。そういうのに混じって、ああ桜だ、と思って眺めていると、ととんでもない間違いというのがあるんです。これもその一つ、最初にこの樹の存在に気がついたのは夏の終わりのギリシャで、もう7年くらい前。古代遺跡の横に落ちていた実を見つけて食べてみた、これがとてもおいしかった。よく樹を眺めてみると梅か桃にそっくり、ということで我が町にもあるに違いないと見当をつけていたのが、果たしてつい近所にありました。天気のいい日にはこの下で、黒い毛のちょっと汚れた羊がのそのそ動いています。
2011年3月15日火曜日
津波援助サイト
津波援助について英国赤十字がおこなっている基金
You can donate to British Red Cross for Japan Tsunami Appeal from above link.
2011年3月4日金曜日
2月は逃げた
忙しいのも手伝って、気がついたらもう3月。特別なことは何もなかったんですが、ここ二回ほど日本酒の利き酒会に行ってきました。どちらもBritsh Sake Associationがイギリスの酒卸元や清酒会社と共催して行ったもので、メンバーでもないのにいろんな酒が楽しめるとあって、のこのこ出かけました。感想は、とにかくおいしかった、と言うに尽きます。しかしです、こちらでは値段が本当に高くなる、そこでたいていの居酒屋においてあるのは「大関」ぐらいで、これを間違ってまともな銘柄を注文でもすると、四合瓶が軽く35ポンド、下手をすると100ポンドの出費となります。それでも飲もうという人がいったいどれだけいるんだろうか。まして、日本酒の味も知らないこっちの住人がまず手を出すとは考えられない。酒蔵の人たちも熱意を持っていらしてましたが、ま、前途多難だろうな、と。
写真は上善如水を造っている新潟の白瀧酒造の担当者さん。
写真は上善如水を造っている新潟の白瀧酒造の担当者さん。
2011年1月22日土曜日
私の店
こういう表現は、意味が曖昧で、いったい何のことやらと思いません?有名な「の」の曖昧さです。そこで説明を加えると、ここは自分が加わっている会員制のスーパーで、£25の加入金と月一の労働義務と引き換えに、10%の割引がもらえる仕組みになっている近所の、いえ、角を曲がったところにある店です。ということで、「私がふだん使う店」でもあれば「私が会員になっている店」でもあり、「私が一部所有者のつもりになれるかもしれない(本当はそんなことはありえませんが)店」、そして、「月一度働かされる(しかも無給で)ご主人様」でもあります。売っているものは大したものはないんだけど、唯一気に入ってるのは、珍しい山取りきのこを扱っていること。これがために、ここに加入しているといってもいい。いや、も一つあった、紫色のジャガイモです。写真に映っている黄色いTシャツを着た人が発起人のアーサー氏。何でも、どっかのレストランの所有者だそうな。年末の寒波のあおりを受け、客足が途絶えてしまい、今月で閉店の危機に瀕しておるとかで、本人が必死で支えようとしているようです。
何とかなって欲しいなあ、とは思っていますが、さてさて。
何とかなって欲しいなあ、とは思っていますが、さてさて。
追記;
思いあまったアーサー氏、テレビ局に頼み込んで放映を早くしてもらいました。結果、放映の翌日から入会者が相次ぎ、ついに目標を大幅に上回る七〇〇名の会員数に。次はグラスゴーに出すという話も。
2010年12月3日金曜日
雪が
ここ数日、朝カーテンを開けては、変化はないかと確認していたのが、ついに本当になりました。まず火曜日の朝、アスファルトの上はまだ黒々としてはいたものの、粉雪がちらついて、車の上に、ほんのうっすら白いものが見えました。そこで誰もが期待するのは仕事がなくなること、とはいってもこの程度では休みになりません、学校は別として。しかし期待は期待としてあるもので、何とはなしに仕事に手がつかず、そうこうするうちに生徒さんから、「足下が悪いなら、授業を変更してもいいけど」という問い合わせが入りました。実はこのお誘い、大助かりで、この日受け取り予定の届け物を手にすることができるというもの。さらに午後、もう一件、全く同じ連絡が、ただしこれは延期しても結局休みにならないから、というので授業を行うことになりました。「ほんのうっすら」だから、行き来に障害があるはずがないのはわかってるんです。
水曜の夜になってまた雪が降り始め、今度は気温が零下に下がったのも手伝って、翌朝には市内全域で雪化粧となりました。ただし中心部は、わずか数センチ、少し街を外れると5,6センチぐらいまで、これは立派な雪です。本物の雪ということで、学校はほぼ全校が休校、交通網は半壊滅状態。そうはいっても自分が乗る列車には大した影響があるはずがない、と思って電車に乗ったのが大きな誤算でした。ロンドンの電車を甘く見てはいけない。写真にある程度の雪です。これで何ほどのことが、と誰でも思うでしょう。「電車が遅れて、ごめんなさい」というアナウンスを聞き流して、乗り込んだこの朝、ふだんなら2分ですむ行程を、たっぷり1時間半、車上で過ごすことになりました。この日に延期した授業に間に合わなかったのはもちろんのことでありました。
水曜の夜になってまた雪が降り始め、今度は気温が零下に下がったのも手伝って、翌朝には市内全域で雪化粧となりました。ただし中心部は、わずか数センチ、少し街を外れると5,6センチぐらいまで、これは立派な雪です。本物の雪ということで、学校はほぼ全校が休校、交通網は半壊滅状態。そうはいっても自分が乗る列車には大した影響があるはずがない、と思って電車に乗ったのが大きな誤算でした。ロンドンの電車を甘く見てはいけない。写真にある程度の雪です。これで何ほどのことが、と誰でも思うでしょう。「電車が遅れて、ごめんなさい」というアナウンスを聞き流して、乗り込んだこの朝、ふだんなら2分ですむ行程を、たっぷり1時間半、車上で過ごすことになりました。この日に延期した授業に間に合わなかったのはもちろんのことでありました。
2010年10月20日水曜日
「形式名詞」って、何?
これがわからないんですね。つい最近まで、ぼんやりとわかったつもりになってたんだけど、ちょっと宿題をもらって調べたところ、意見がまちまちで、まだ合意もできてないし、それほど深い研究もできていないような感想を持ちました。ま、いつものことですが。
宿題は、「もの」についてだったので、それについてわかったことをメモしておきます。「もの」には、「実質名詞」としての使い方があります。「こんなとこに、物を置くんじゃない!」という漠然と物体を示すタイプから始まり、「物がいい」の品質、「ものを言う」、「ものに憑かれる」、そして「ものにならない」のような慣用的なものまで、奥が深い。次いで、修飾語によって初めて意味内容が与えられるタイプで、「私のもの」、「食べるもの」、「十年前に書かれたもの」の類。このタイプはほかの実質名詞に置き換えができますが、これがさらに抽象度が高まると、「誰にでもできるもの」、「大したもの」、「恋というもの」のように一般的な「事柄」とでも置き換えるしかないものになる。ここまでくると、情意的な内容が簡単に上乗せされるようになり、「これが、恋というものだ!」などと、憂いを帯びた溜息をつきながら口にしなければなりません。
ところで、私の意見では、ここまでが「形式名詞」と言えるものであって、その先の〈物事を体言化して捉えかえすはたらき〉のほうは〈形式名詞〉と呼ぶのをためらう気持ちになります。「悪いやつはどこにでもいるものだ」、「昔は体重も尺貫法で量ったものだ」、「あの人には困ったものだ」などなどは、ほかの「実質名詞」に置き換えがきかないし、使わなくっても意味は通る、でも「一般的なものとして客体化して捉える」ことで、情意的なもの、聞き手目当ての働きかけなどを上乗せできるようになっています。「準体詞」とでも名前をつけたいな。そして最後に、〈客体化して説明のムードを付け加える〉やつ。「負けたのが悔しかったものと見える」、「だって嫌いなんだもん」。これは、終助詞でも、接続助詞でもないと思うけど、なんて名前をつけたらいいんやろか。これは、「文末外接形式」の一つ、なんていうような長い名前になりそう。
写真は、地下鉄駅で見かけたちょっと怖いポスター。誰の頭の上に落とすんでしょうね。
宿題は、「もの」についてだったので、それについてわかったことをメモしておきます。「もの」には、「実質名詞」としての使い方があります。「こんなとこに、物を置くんじゃない!」という漠然と物体を示すタイプから始まり、「物がいい」の品質、「ものを言う」、「ものに憑かれる」、そして「ものにならない」のような慣用的なものまで、奥が深い。次いで、修飾語によって初めて意味内容が与えられるタイプで、「私のもの」、「食べるもの」、「十年前に書かれたもの」の類。このタイプはほかの実質名詞に置き換えができますが、これがさらに抽象度が高まると、「誰にでもできるもの」、「大したもの」、「恋というもの」のように一般的な「事柄」とでも置き換えるしかないものになる。ここまでくると、情意的な内容が簡単に上乗せされるようになり、「これが、恋というものだ!」などと、憂いを帯びた溜息をつきながら口にしなければなりません。
ところで、私の意見では、ここまでが「形式名詞」と言えるものであって、その先の〈物事を体言化して捉えかえすはたらき〉のほうは〈形式名詞〉と呼ぶのをためらう気持ちになります。「悪いやつはどこにでもいるものだ」、「昔は体重も尺貫法で量ったものだ」、「あの人には困ったものだ」などなどは、ほかの「実質名詞」に置き換えがきかないし、使わなくっても意味は通る、でも「一般的なものとして客体化して捉える」ことで、情意的なもの、聞き手目当ての働きかけなどを上乗せできるようになっています。「準体詞」とでも名前をつけたいな。そして最後に、〈客体化して説明のムードを付け加える〉やつ。「負けたのが悔しかったものと見える」、「だって嫌いなんだもん」。これは、終助詞でも、接続助詞でもないと思うけど、なんて名前をつけたらいいんやろか。これは、「文末外接形式」の一つ、なんていうような長い名前になりそう。
写真は、地下鉄駅で見かけたちょっと怖いポスター。誰の頭の上に落とすんでしょうね。
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